自分をちょっとだけ好きになれたとき

お題「自分をちょっと好きになれたとき」

 

おはようござます。

 

今回は自分のことがあまり好きになれない私が、ほんのちょっとだけ自分のことを好きになれた時の話をしてみようと思います。

 

私は10月の引退まで大学野球に選手として出場していました。自分は他の選手よりも野球が上手くはありません。どれだけ練習しても他の人には追いつけない。後輩の方がたくさんの技術を持っている。そう感じることの多い野球人生でした。

 

今年の秋のリーグ戦が自分にとって最後の学生野球の公式戦となるということもわかっていたので、結果が残せなくても、後悔したくない。そう決めてからお盆休み返上で必死になって練習しました。今年の夏は例年以上に暑く、必死にバットを振ってもなかなか目に見えて上達はしませんでした。

 

そんな状況が続いた中で、自信を全く持つことができずに迎えた秋のリーグ戦。開幕週は安打どころか、塁にも出られない、4番打者として不甲斐ない結果に終わりました。しかし、1週目が終わってからの平日もただ、打てるようになりたい、4番打者としてチームに貢献したい、この一心で必死になって練習を続けました。必死になって練習を続けていると、2週目からは徐々に長打を打てるようになってきました。

 

そして迎えた、最終週、今でも忘れることができない土曜日の第3打席。人生で初めて柵越えのホームランを打ちました。4番打者として出場を続けていましたが、実は今までの人生で柵越えのホームランを打ったことがありませんでした。初めて打った柵越えのホームラン。チームメイトの皆がベンチから乗り出して迎えてくれました。打った瞬間バットから伝わってきたあの感覚、ボールが柵を越えたあの瞬間、審判さんのホームランの判定サインは一生忘れないだろうと思います。

 

結果が付いてこなくても必死になってその目標に向かっていける自分をあの瞬間、ほんの少しだけ好きになれました。

大好きなもの

先日,部活を引退し,急に休日何もすることがなくなってしまい,ふと思い立ってブログを書き始めてみました.山桜です.

 

先日の公式戦最終試合で負けた瞬間,もう少し,もう少しだけでいいからこのチームで野球がしたかった,そう思うと,最後の整列に一人で立つことができないほど涙が止まりませんでした.あの日からもう2週間.あっという間の日々でした.

 

思うような結果が残せない試合のほうが多かったけれど,結果が出た日も出なかった日も,次の日には必ずバットを振っていました.大学入学と共に購入したバッティンググローブは今ではもうボロボロ.そんなバッティンググローブと右手に常にできていた血豆が努力の証でした.

 

野球の道具を見たらまたあのチームでもっと野球がしたかった,この感情が再燃し,涙が止まらなくなりそうで,負けて引退してからもう2週間経つけれど,いまだに車の中から野球の道具を取り出せずにいます.

 

野球から少し離れて2週間,右手にできていた血豆もなくなり始めて改めて思います.選手としてプレーをしていた時は考えたことがなかったけど,僕は野球が本当に大好きだったんだなって.失ってから気づいた大好きなもの.それが野球でした.しんどいこと,つらいこと,やめたくなること,それを乗り越える原動力は,今週末野球ができる.そう思うことがそういったものを乗り越える原動力になっていました.そして,野球が心の拠り所でした.

 

大好きな野球が僕に教えてくれたこと.それは,継続すること,感謝の気持ちを持ち続けることの大切さです.どれだけ打てない日々が続いても必死になって努力を継続していたら自ずと結果がついてきました.ユニフォームを自分で選択するようになり,栄養を考えて料理をするようになり,両親,友人,家族に本当にたくさん支えられて野球ができていたんだ.今まで以上に,支えてくださった方への感謝の気持ちを持ち続けないとなと思いました.

 

大好きなものが教えてくれたことは,これからの人生できっと役に立つと思います.このブログを読んでくださっている方も,自分の大好きなものについて考えてみてはいかがでしょうか.

 

では,また,いつか.

 

山桜